2013年04月08日

4月8日花祭り お釈迦様(ブッダ)生誕



「花まつり」は、4月8日にお生まれになったお釈迦様の生誕をお祝いする日のことなのです

ブッダが生まれてすぐ、「天上天下唯我独尊」といわれたように、
私たち一人一人のかけがえのない生命の尊さを思う日でもあります

2500年も前のことです
現在のインド北部とネパールの間に、カピラヴィストーいう小さな国の王子として生誕

ブッダの母が出産のため実家に向かう途中のルンビニーの園で男の赤ちゃんをお生みになりました

その生誕の日が4月8日とされています

名前をゴータマ・シッダルダと言います

ちなみに「お釈迦様」の釈迦はカピラヴィストー国がシャカ族の出身から由来してるのでしょう

その、シッダルダは老い・病・死という、命あるものすべてが避けられない苦悩
について悩むようになります

そこで29歳の時、王子という身分を捨て修行の旅に出かけました

それが仏教のはじまりです





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2012年12月23日

黄泉の国への旅立ち 



最も親しい方の一人・恩義を受けた方の一人・お世話になった方の一人

そのお一人の方がお亡くなりになりました

それも、マヤ暦で言う『人類終焉の日に』2012年12月21日に
黄泉の国へと旅立って行きました


享年90歳 人生を全うし、安らかに逝ってしまいました
聞くところによると、穏やかな表情での旅立ちだったようです

彼の穏やかな人生の最後に、心を痛める問題を持ち込んだ事に対し
自分自身 自責の念に駆られてなりません

それなのに、お別れに伺えず誠に残念でなりません

どうぞ、安らかな旅立ちでありますよう、遠くの地からお祈りいたします


★自分の人生自分らしく
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もしもの日のために!




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2012年10月08日

仏の癒し・心の静寂


  今、若い女性の間には、心の静寂を求め、座禅や写経などが人気です

  都会の真ん中のお寺では、無料で悩みなど聞いてくれるお寺もあったりして

  多くの女性が訪れてるようです


  やはり、3・11以後、癒しを求める方が多く要るのだと思います

  写経や座禅に人気が有るのも、やはり心を落ち着けて将来のことなど

  ゆっくりと考えるいい機会なのかも知れません





posted by assaji at 11:39| Comment(0) | ブッダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月27日

写経 「無の心」


  写経は、一字書くたびに、一体の仏様をお刻みすること、といわれます

  今、静かなブームになってるようですね

  一心にお経を写すとき、邪念は滅却され、心の安定が得られるのです

  腹の立つとき、人をうらみにおもうとき、悲しみに打ちひしがれるとき

  写経をしてみてください


  写経を書き終えたときには、

  腹立たしさも、うらみも、悲しみも、消えうせていることでしょう


  


  心・静かに写経を体験はいかがですか




posted by assaji at 23:48| Comment(0) | ブッダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月07日

【ブッダ】我が心のよりどころB“釈迦入滅”



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ブッダの歴史の中でもっとも克明に残っているには、

入滅前の約一年間である

釈迦最後の伝道は、王舎城の竹林精舎から始ったといわれている

その1年前には、祇園精舎からふるさとカピラビストウに立寄り、その後南下し

マガダ国の王舎城に そこにしばらく留まった

そして最後の伝道に出掛けたようです

パータリプトラ(現・パトナ)そしてガンジス河を渡りバッジ国のバイシャリに着いた

ここの遊女アンバリーパリ所有のマンゴ林に滞在 そこで四諦を説いた

やがてここを後にヴェールバ村で雨季を過す事となる、がここでブッダは大病になり、

弟子のアーナンダにブッダが説いた

「比丘は私に何を期待するのか、私はすでに内外区別なく法を説いた
阿難よ如来の教法には秘密に奥義などない・・・・・
私はすでに八十歳の高齢だ、古い車がガタガタとなりあちこち草紐で縛りやっと保たれているようなものである
阿難よ、みずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、
法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることなくして、修行せんとするものこそ、わが比丘たちの中において最高処にあるものである」
と説いた。

やがて病も癒え、雨期も終わり、いくつかの村々を説いて回り、
パーヴァ―村で鍛冶屋のチュンダのために法を説き供養を受けたが、
激しい腹痛を訴えるようになった、原因はそのときに出されたキノコとされている

カクッター河で沐浴し最後の歩みをクシナーラに向けるが、その近くの河のほとりのサーラ林に横たわり、そこで入滅した
時に紀元前386年2月15日のことである、これを仏滅という

仏陀入滅後、その遺骸はマルラ族により火葬され、

その仏舎利は八分に分けられたようです


※ 長文を最後まで頂きありがとうごさいます




posted by assaji at 20:41| Comment(0) | ブッダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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